若者の多様性を受け入れなければ終わりです

日本の画一的な教育は終焉に向かいつつあります。日本の教育は今まで、ルールに縛られ、集団行動を行い、金太郎あめのような人間を作り出しました。

もともとは、終戦後、日本人のポテンシャルを恐れた米国が、日本人を骨抜きにしようと「ロボット化させた」という話しもありますがどうでしょうか。

というより、礼儀とか規律を重んじる日本人にはそれが合っていたのかもしれません。勤勉さと不屈の精神が日本の経済を立ち直らせ、米国を脅かすまでになりました。

しかし反面、時代の変化とともに、若い世代が「必死になって働くことがそれほど重要なのか?」「働くことが美学なのか?」という大人の精神に疑問を感じ始めます。

特に個性を大切にしたい現代の若者にとっては「金太郎あめになりたくない!」と、世間に対して「NO!」を突き付けているのです。それが、仕事中にボーッとしていたり、変な言い訳をつけて急に休んだり、突然辞めると言い出したり、そういった行為に繋がっている面もあり得ます。

もちろん若気の至りという面もありますが、「僕たち、私たちをボロ雑巾のように扱うな!」「身を削ってまで会社のために必死になって働く必要があるのか?」そう、社会に対する反抗の表れであるのかもしれません。別の言い方をすれば「つまらない仕事場」であるのです。

現に慢性的に人材不足に陥っている会社は「人手が足りないから」と人員の補てんにしか思ってません。「労働=賃金の支給」ぐらいにしか思っていないでしょう。それは会社の一方的な都合であり、「賃金以外の何かを得たい」と少しながらの希望を抱いて応募してきた若者を落胆させる原因の1つになっています。

私は若者の肩を持つわけではありませんし、若者の考え方を全て受け入れろと言ってるわけでもありません。若者を育成しようと思えば、まずはそういった気持ちを認めつつ、多様性を受け入れる必要があるのではないか?ということです。

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